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神応寺(じんのうじ)は、茨城県水戸市にある時宗の寺院。「神應寺」とも書く。 == 概略と沿革 == 時宗遊行派の総本山である清浄光寺は、永正10年(1513年)に合戦に巻き込まれて焼失した。その地を支配していた後北条氏に睨まれていたために、再建することができず、約百年に亘って藤沢上人(遊行上人を引退した清浄光寺住職)と本尊は、各地を流浪することになった。 そこで佐竹氏の一門出身である遊行32代他阿普光は、佐竹義宣を頼って、水戸の地に藤沢道場を建立することとした。天正19年(1591年)、水戸城下の後に藤沢小路と呼ばれる神生平(かのうだいら)に建てられた。こうして短い間だが、遊行派本山となった。当初は寺号がなかったが、清浄光寺再興を受けて寛永10年(1633年)に神応寺と改称し、延宝8年(1680年)に現在の元山町の地に移転した。 境内には広大な墓地があり、中に居合術田宮流中興の祖・和田平助正勝、軍学者・山国兵部共昌、その実弟・田丸稲之衛門直允らの墓がある〔水戸商工会議所 郷土いいとこ再発見 〕。 雷除けで信仰を集めた蹴揚観音があり、かつては別雷大神を祭祀していたが、神仏分離令により、隣の敷地で独立した。本地仏は現在も当寺で祀られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神応寺 (水戸市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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